●Kazさんのページ

「英語よもやま話」2007年
ここには、読者の皆様との交流の場でもある巻頭序言を集めてあります。

●2007年1月 【旧暦のいわれ】

明けましておめでとうございます。旧暦のいわれを紹介しましょう。

睦月: 正月は身分の上下なく老いも若きもお互いに拝賀し、親族一同集まり"睦まじく"過ごす月。
如月: 寒いこの月には衣を重ね着することから「衣更着月」(きぬ さらにきつき)が短くなった。
弥生: 木草弥生(きぐさいやおい)茂れる月、つまり草木がいよいよ生い茂れる月という意味。
卯月: 卯の花の月。卯の花とはユキノシタ科の「空木(うつぎ)」のこと。
皐月: 早苗を植える月で「早苗月」がサツキになった。
水無月: 水を田に入れる「水の月」がミナヅキになった。無は無いという意味ではない。
文月: 七夕(7月7日)に詩歌を牽牛・織女の二星に献じることから。
葉月: 木の葉が紅葉して落ちる月、「葉落ち月」が葉月と呼ばれるようになった。
長月: 夜が長くなる「夜長月」から長月と呼ばれるようになった。
神無月: 全国の神様が出雲大社に集まり男女縁結びを行うこの月は、各地の神様は不在になることから。
霜月: 霜が降りる月だから。
師走: 年末で師匠も趨走(すうそう)することから、師趨(しすう)が師走になった。

 

●2007年2月 【富士山】

 昨年末伊豆高原の温泉宿に泊まった時、好天に恵まれ雪景色の美しい富士山を眺めることが出来ました。

 日本最古の物語とされる「竹取物語」の最後の章で、月に昇って行くかぐや姫が彼女に求婚し続けた帝に「不老不死」の薬を送り、別 れを悲しんだ帝が「駿河の国に有なる山の頂きにて、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべきよし仰せたまひ」という一節があります。この続きは「強者共があまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を不尽(ふじ)の山とは名付けたる。その煙未だに雲の中へ立ち上るとぞ、言い伝えたる」と結ばれています。

 このことから富士山はその当時は活火山であったことがわかります。この「不死」山が、日本最高峰の並ぶものの無い「不二」の山となり、鎌倉時代以降に「士が富む」として武士好みの表記「富士」になったと言われています。

 

●2007年3月 【ひいき】

「依怙ひいき」、「ひいきの引き倒し」などとよく使われる「ひいき」の語源をご存じですか?

 漢字で「贔屓」と書きますが、贔屓の「贔」は、貝を三つ合わせて重い荷を背負うことで鼻息を荒くすることを意味し、「屓」は、もともと碑文の石の下で支える形に彫られた亀のことで下で支えることを意味します。この二文字が合わさった「贔屓」の元々の意味は、「鼻息を荒くして力を込めるて支える」、ということだそうです。それが転じ、特定の人を助けるために力を入れたり、目をかける意味となりました。

 また別の説では、「贔屓」は架空の動物で、伝説によれば龍には九匹の子供がいましたが、どの子も本当の龍にはなれませんでした。そのうちの一匹が贔屓です。顔は龍で体は亀。重たいものを背負うことを好んだことから、記念碑などの台座に彫られるようになったとも言われています。

 

●2007年4月 【不動心】

 「心の構えで挫折は力に変わる」という本の帯文字と、バッターボックスの写 真に惹かれて、NYヤンキースの松井秀喜選手が著した「不動心」(新潮社)を購入しました。

 ゲーム中に左手首を骨折し2006年シーズンを棒に振ったことを振り返り、「失敗をしないことが一番だが、失敗をしてしまったらその状況下でベストな選択を考える。コントロール出来ない過去よりも、変えていける未来にかける」と言う、松井選手のプラス思考には感心しました。

 素直な性格と柔軟な頭を持っている松井選手だからこそ、両親、恩師、そして巨人軍の長嶋監督などの薫陶を受け、異国の地で才能の花を咲かせたのだと思いました。彼が人生の指針としている星陵高校時代の山下監督の言葉は、次の通 りだそうです。

 心が変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる

 

●2007年5月 【もしもし】

 電話で話す時に最初に「もしもし」というのはなぜでしょう?

 これは「申し申し」という目上の人に対する呼びかけの言葉が元になっているそうで、広辞苑には江戸時代式亭三馬作の「浮世風呂」の『もし、モシ、静かにお使いなされ。はねがかかりますゆえ』という文例が載っています。日本で電話業務が始まったのは1891年(明治23年)ですが、この時に電話交換手が「もしもし」と使うようになったようです。

 英語で「もしもし」は何と言うのかと問われて、「そりゃIf Ifだ」と答えた人がいたそうですけれど…。(英語で「もしもし」は、Helloです。わかりやすいですねぇ。)

 

●2007年6月 【黄金比(Golden Ratio)】

* 人間にとって最も安定し美しく見える形は、縦1:横約1.6の比率の長方形で、我々の身近な例でいうと名刺(クレジットカード)の形がまさにそれにあたります。数学的に定義すると「線分をa,bの長さで分割する時にa:b = b:(a+b)が成り立つ比」のことで、これ を黄金比と言います。a=1とするとこの比例式はbxb = b+1の二次方程式になり、その正の解 b = (1+√5)/ 2 = 1.618...≒1.6になります。

 わかりやすく図で示してみましょう。4. の黄金比で完成された長方形を「黄金長方形」と呼びます。

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 この黄金比は芸術や建築の世界で多く見られますが、長方形に限らずエジプトのピラミッドは高さ:底辺の長さ=1:1.6、ミロのビーナスの臍から上:臍から下=1:1.6となっています。

【参考】おもしろ数学講座

●2007年7月 【ここまでやるかぁ?】

 中国の偽ブランド品の一例(上:中国製偽物、下:本物ブランド)です。

 物品貿易だけでなく金融、情報通信、知的財産権やサービス貿易も含めた包括的な国際通 商ルールを協議するWTO(世界貿易機構)の正式加盟国がここまでやるかぁ?って感じです。下記のサイトから沢山の中国製偽ブランド品をご覧になれます。
http://thirdeyedumb.com/2007/05/chinese_fake_brands.html

 

●2007年8月【年金消滅の主犯】

 年金消滅の主犯を暴く」(岩瀬達哉:文藝春秋2007年8月号)を読んで、社会保険庁の乱脈ぶりに今更ながら驚かされました。そもそも現在の日本の年金制度は第二次大戦争中の1942年、当時のナチスドイツの労働年金保険法をまるまるコピーして創設されたもので、「市中の資金を吸収して国家政策のために動員することを目標」とするための手段だったのです。同制度を導入した厚生省初代年金課長の花澤武夫氏は自著『厚生年金保険制度回顧録』の中で、「戦争中のどさくさにやってしまったから、一番よかったのですね。落ち着いてみんながまともに考えるようになってから、これを作ろうとしても法律はできなかったでしょう」と述懐しているそうです。なぜなら最初から国民のための社会保険ではなく、国家目的遂行の資金作りの制度だったからです。だから年金官僚達は戦争遂行という国家目的が無くなった後も、我々の年金掛け金を将来の給付のために積み立てることより、自分達の天下り先施設の建設費用に流用し、日常の事務費や車両購入、コンピュータ設備投資など、本来なら省庁予算で支払われるべき費用まで、年金掛け金から"中抜き"して支払っていたのです。

 彼等が掛け金を"中抜き"して自分達のために使うことに熱心なあまり、肝心の年金給付については関心を払わなかった結果 、保管されるべき国民の納付記録はいい加減なまま放置され、今日の事態を引き起こしてしまったのです。本省(厚生省)から腰掛け意識 で着任する歴代の社会保険庁長官は、現場に波風をたてないよう職員組合の要求をそのまま呑み込み、業者の言われるままの見積金額を支払い、その結果 天下り先を確保し、自分は甘い汁を吸ってきたのです。社保庁はNTTデータに言われるままに1980年代に開発されたDIPSという古いシステムを導入し、システム開発、使用料など1兆円という法外な費用を同社に払っています。

 国民年金の原簿破棄を指示した正木馨長官は退官後五カ所に天下りを繰り返し、約3億6千万円もの報酬を受け取ったそうです。(2007年6月6日衆議院内閣委員会)また最近になって手のひらを返したように「過去を反省」しているという組合(旧自治労国費評議会)は、つい最近までこんな意識でいたことが、彼ら自身が記した文書で明らかになっています。「民間労働者は安い賃金で精一杯使うだけ使って使い捨てされるが、我々はタバコを吸いながら入力。疲れたらコーヒーを飲んで一服。時間内組合活動をやったり、雑談をしたり、パソコン一つも一人では満足に扱えない。昼休みに電話がかかってきたり、来訪者が来ても対応しない」『国費協九州地連三役会議:2001年12月1日』

 年金の私物化・横領、業者との癒着、現場の怠業という三悪のツケは、結局自分達の年金掛け金を"中抜き"された、我々国民が税金で払わねばならないのです。今回参議院選では政党が年金問題でお互いを非難していましたが、問題は政党政策の是非ではなく、制度を悪用した官僚の不始末なのです。与野党関係なく現在の年金システムを根本的に変えない限り、将来の不安は解決しないのです。

 

●2007年9月【莫久来(ばくらい)】

 「ばくらい」という珍味をご存じですか?「海鞘(ホヤ)」と「海鼠腸(コノワタ)」のブレンドです。

 写真を見ればおわかりの通り二つの海産物は、どちらかというと食欲がわかない姿をしています。ホヤ(Sea Squirt)は海底の岩などに固着してオタマジャクシの様に遊泳し、その形状から「海のパイナップル」と呼ばれている脊索動物(!)だそうです。一方コノワタはヒトデとかウニと同じ棘皮動物ナマコ(Sea Cucumber)の内臓の塩辛です。

 この二つを混ぜたものが何故「ばくらい」と呼ばれるかというと、ホヤの形が兵器の「機雷」に似ているところから「爆雷」→「莫久来」と呼ばれるようになったそうです。珍味+珍味なのですから、これを肴にすれば、当然のことながら日本酒がグイグイ進みます。

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海鞘(ホヤ)
海鼠(ナマコ)↑の
腸=海鼠腸(コノワタ)
莫久来(ばくらい)

●2007年10月【Couldn't cut the mustard 期待に添えず】

 英字新聞の"Hot Dog Legend Couldn't Cut the Mustard"(伝説のホットドッグ王者、期待に沿えず)という見出しに、思わず「憎いねぇ〜」と唸ってしまいました。"Cut the mustard"は「期待に添う」というアメリカ英語のイディオムですので、否定形だと「期待に添えなかった」ということになります。

 なぜ「憎いねぇ〜」かというと、この見出しはアメリカのホットドッグ早食い競争で6年連続チャンピオンだった日本人の小林尊(=こばやしたける)君が、今年はアメリカ人挑戦者に負けてしまった記事のもので、「辛子が切れなかった=期待に沿えなかった」という、ヒネリが利いているからです。

 毎年アメリカの独立記念日に行われるこの大食い競争で、29歳の小林君は12分間で63個のホットドッグを食べましたが23歳のChestnut君は、なんと大会新記録の66個を食べて優勝しました。単純計算すると10.9秒で一個(!)のホットドッグを食べたことになります。

 この面白いイディオムは"to achieve the required standard"(必要とされる水準に達する)という意味で、辛子(mustard)が香辛料の中で珍重されていたことに起因するよ うです。作家のO.Henryはその作品の中で男が売春婦を捜す場面で、"So I looked around and found a woman that exactly cut the mustard."(そこで私はあたりを見回し、まさに自分の好みにピッタリの女を見つけた)という言い方をしています。

●2007年11月【動物名を使ったイディオム】

 動物の名前を使った英語のイディオムには面白いものが、沢山あります。その動物の性質を使ったものでHe is as stubborn as a mule. (彼は【言うことを聞かない】ラバの様に依怙地だ)とか、The politician took the lion's share.(その政治家が【百獣の王が取る】一番いい分け前を取った)などがあります。またイソップ寓話が元になった、He cries wolf so often that nobody trusts him.(彼は【狼少年のように】人騒がせな嘘をつくものだから誰からも信用されなくなった)という言い方もあります。変わった表現では She cooked her goose this time. Her boss found her asleep in the office.(彼女はのっぴきならないことになった。仕事中居眠りをしているのを上司に見つかったからだ)というのがあります。これは本来なら役に立つガチョウを殺して料理してしまった、という譬えから来ています。

 Eat crow(カラスを食べる)という表現は、不味いカラス肉を渋々食べさせられることから、余儀なく自分の失敗を認めさせられる時に使います。二年前の郵政民営化選挙で自民党が大勝し、小泉チルドレンと呼ばれる新人議員が大勢誕生した時、その中の一人杉村泰蔵議員が「これで高級外車に乗って高級料亭で食事が出来る」とはしゃいで顰蹙を買いましたが、英字新聞にはこう書かれていました。The rookie LDP lawmaker has to eat crow for his "hope to dine at high-class restaurants" remark.(この自民党新人議員は「高級料亭で食事をしたい」と失言したことで、袋叩きにあって発言撤回を余儀なくされた)

●2007年12月【作詞家の阿久悠さん】

 本年8月に亡くなった作詞家の阿久悠さんは生涯に5,000曲の詞を書き、そのレコード売上げは6800万枚を超したそうです。

 阿久さんと一緒に仕事をした作曲家の小林亜星さんは、「『女ごころの未練でしょうか』の『か』ひとつにこだわり、『未練でしょう』と言い切らず、自分を客観視して分析している女性を表現した」と、その感性の鋭さを語っていました。同じく作曲家の都倉俊一さんは、「僕が曲を先に作ってデモテープで『トゥタター、トゥタター、トゥタトゥタター』と流すと、それが『ウララ、ウララ、ウラウララ〜、あーどうにもとまらない』となるんです。何なんだ、これは?(笑)」と驚いていました。【文芸春秋2007年10月号】

 以下の代表作品をご覧下さい。昭和40〜50年代のヒットした曲の殆どが阿久さんの作詞だと知り、今更ながらビックリしました。ご冥福を謹んでお祈りいたします。

 白い蝶のサンバ(森山加代子)、また逢う日まで(尾崎紀世彦)、どうにもとまらない(山本リンダ)五番街のマリーへ(ペドロ&カプリシャス)、時の過ぎゆくままに(沢田研二)北の宿から(都はるみ)、津軽海峡冬景色(石川さゆり)、ペッパー警部(ピンクレディ)舟歌(八代亜紀)、もしもピアノが弾けたなら(西田敏行)、居酒屋(五木ひろし)熱き心に(小林旭)、ピンポンパン体操、宇宙戦艦大和、ああ甲子園、ウルトラマン等【阿久悠オフィシャルサイトから引用】

それでは、皆様、良いお年をお迎え下さい。



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