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「英語よもやま話」2009年
ここには、読者の皆様との交流の場でもある巻頭序言を集めてあります。

●2009年1月 【すしの変遷】

すしのルーツは、ご飯の中に塩味をつけた魚肉を漬けて発酵させた東南アジアの魚肉保存法だと言われています。日本では奈良時代の正倉院文書の中に「鮨」(語源は魚の塩辛)、或いは「鮓」(語源は塩と米で醸した漬物)という字が見られることから、かなり早い時代から日本に「すし」が存在していたことがわかります。

因みに「寿司」は江戸時代に作られた当て字です。古代のすしはルーツに近い形の魚・飯・塩で発酵させ酸味を得て、飯は捨てて魚だけを食べるという形で「ホンナレ」といわれ、現在でも近江のフナずしにその姿をとどめています。室町時代になると「ホンナレ」より発酵が浅く捨てていた飯も食べるようになりました。これを「ナマナレ」(生成)と呼んでいたことが「蜷川親元日記」(1486年)には書かれているそうです。現代では鯖ずしなどの製法に受け継がれています。

またこの頃から野菜を混ぜる「イズシ」が発展したようで、その代表的なものが秋田のハタハタずしです。さらに時代を経て江戸時代になると時間がかかる従来の発酵方法から「早ずし」という酢を使う方法へと変化して行きました。この手軽な方法で巻きずしや、稲荷ずし、ちらしずしが作られるようになり、関西では押しずしがさかんになりました。

そして江戸時代後期に職を求めて人が集まって来る江戸で、屋台で手軽に食べるファーストフード的感覚で生み出されたのが、すし飯の上に切った魚を乗せる握りずしです。いわば江戸の郷土料理であった握りずしが全国に広まったのは、実は大正12年(1923年)の関東大震災で、罹災したすし職人が、これを機に故郷に戻って各地で「江戸前」寿司店を開いたことに由来するそうです。日本人とは切っても切れない食べ物「すし」には、このように興味深い歴史があります。

【出典:「すしの歴史を尋ねる」(日比野光敏著:岩波新書)】

●2009年2月 【オバマ新大統領就任演説】

44代アメリカ大統領に就任したバラク・オバマ氏の就任演説テキストを読むと、We gather because we have chosen hope over fear, unity of purpose over conflict and di scord.(我々は恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく共通 の目標を目指すためにここに集った。)といったレトリック(言葉の修辞法)の巧みさが際立っています。また注意深く読むと聖書の言葉や過去の大統領の名文句を、自分の演説文に上手に散りばめています。

●We remain a young nation, but in the words of Scripture, the time has come to set aside childish things.(我々の国はまだ若いが、聖書に「子供じみたことを止める時が来た」という言葉がある。)
/出典はコリント人への手紙13-12、When I be came a man, I put childish ways behind me.(私が大人になった時、子供じみたやり方は背後に置き去ることにした)、だと思います。

●We will build the roads and bridges, the electric grids and digital lines th at feed our commerce and bind us together.(道路や橋を作り、送電線網やデジタル通 信網を敷き、商業活動を支え、我々を一つに結び付けねばならない。)
/これはリンカーン大統領の就任演説(1865年)の中にある、let us strive on to finish the work we are in, to bind up the nation's wounds,(我々が係わっている仕事を終えるために全力を尽くし、南北戦争で傷ついた国の傷をしっかり修復しよう)を意識していると思います。

●A nation cannot prosper long when it favors only the prosperous.(豊かな者ばかりを優遇していると、国の繁栄は長続きしない。)
/これはケネディ大統領の就任演説(1961)にある、If a free society cannot help the many who are poor, it cannot s ave the few who are rich.(自由社会が多くの貧しい人々を救えないなら、ほんの僅かな金持ちですら助けることはできない)という言葉を意識していると思います。

●2009年3月 【赤めだか】

落語家前座生活を綴った「赤めだか」(立川談春著:扶桑社)を、読みました。17歳の時に立川談志(たてかわだんし)に入門した談春は、型破りな師匠に覚え立ての落語をタクシーの中でいきなりやらせれて運転手に不安がられたり、空気銃で猫を撃てと言われたり、礼儀作法を学ぶために一年間築地の魚河岸に働きに出されたり、稽古の時「風邪をひいていますので」と言ったら以後師匠は一切噺を教えてくれなくなったことなどを、まるで高座の落語みたいにポンポンと弾むような言葉で綴っています。

「弟子と師匠の関係は惚れた男女の関係に似ている」という談春に、落語の実力は評価されながらその毒舌奇癖で毀 誉褒貶相半ばする談志師匠は、珍しく素面の時にこう言ったそうです。「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。本来ならそいつに並び、抜くための行動・生活を送ればよいのに、嫉妬している方が楽だから、人間はなかなかそれが出来ない。時代が悪いの、世の中がおかしいのと云ったところで仕方ない。現実が事実だ。そこには何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を、俺の基準で馬鹿と云う」。

●2009年4月 【聖書に学ぶ交渉術】

元外交官の佐藤優氏が書いた「インテリジェンス交渉術」(文藝春秋2007年7月号)の中で、聖書に見られる「駆け引き」具体例として、悪徳の都ソドムとゴモラを滅ぼそうとした神と、それを阻止しようとした預言者アブラハムとのやりとり(旧約聖書創世記18章)を解説していました。以下アブラハム(ア)と、神との会話をかいつまんで引用します。

ア:その町には50人の正しい者がいるかも知れません。あなたは正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか?正しい者と悪い者を同じ目に遭わせるということを、あなたがなさるはずはございません。
神:もしソドムの町に正しい者が50人いるならば、その者のために町全部を赦そう。
ア:もしかしたら50人に5人足りないかもしれませんが、その時は町を滅ぼしますか?
神:45人いれば滅ぼさない。
ア:もしかすると40人かも知れません。
神:その40人のために滅ぼすまい。
・・・・・

ソドムとゴモラ伝説に
基づく絵画

こうしてアブラハムは最終的に、10名まで人数を下げることに成功します。彼は「ノアの箱船」で神は自分が選んだ正しい人(=ノアの一族)を救ったことを敷衍して、「正しい者が一定人数入れば町を滅ぼさない」という交渉に神を引きずり込み(=土俵に乗せて)、少しずつ人数のハードルを下げて行きました。(=条件交渉)

佐藤氏は交渉術の定石をここから読み取れるとして、こうした論理はユダヤ・キリスト教文化圏の思考形式と表裏一体の関係にあるので、日本の外交交渉の参考になるはずだと言っています。

●2009年5月 【マドンナのような美しさ】

本年(2009年)は天皇・皇后両陛下金婚式で、テレビ・雑誌では1959年の皇太子御成婚当時の画像や、当時の国民の熱狂振りを伝える新聞記事が特集されています。その当時皇太子であった今上天皇の英語教師であったバイニング夫人(Elizabeth Gray Vining)が 書いた「Return to Japan」の皇太子妃美智子様に関する抄録が、「マドンナのような美しさ」というタイトルで「文藝春秋5月号」に再録されており、初めて読んだ私はその生き生きとした描写 に新鮮な感動をおぼえました。

●美智子様写真の印象 1958年11月17日号「ニューズウイーク」誌には、軽井沢のテニスクラブで撮られた美智子さんと皇太子殿下のお写 真が載っていた。それは何気ないスナップ写真にすぎなかったが、白いテニス服にネーヴィスエーターを羽織り、膝の上にゆるやかに手を組んで座っている少女は、マドンナのような美しさをそなえた、天真爛漫なお顔だった。私の心が思わず歌いだしたほど、勇気とやさしさと聡明さとユーモアの満ちたお顔だった。

●美智子様との初対面小泉信三博士の邸宅で、美智子さんと私がお互いに紹介もされないうちに話し始めたのには小泉博士も驚いたらしい。沢山のカメラがぐるぐる回ったりカチカチ音を立てたり、フラッシュがたかれたりする間も、私達は話し続けた。美味しいお昼食をいただいたが、美智子さんがほんの少ししか召し上がらないので、皆は「殿下はほっそりとした女の方が好きですからね」と、やさしくからかった。「私の夫もそうでした」と私が申し上げると、美智子さんはおどけて悲しそうな様子をして見せて、「あら、では先生は私の苦しみがおわかりになりますね」とお答えになった。

●皇居での結婚式列席内庭の塀の向こうで、微風が木立をかすかに動かした。他には何の物音もしなかった。内部から皇太子殿下の澄んだ、力強い、真剣なお声が聞こえてきた。殿下がお読みになった言葉は古い日本語で書かれ、翻訳してみると次のような意味のものだった。「この吉日我等は賢所の御前において、恭しく結婚の儀を執り行う。我等は終生真心をもって琴瑟相和した生活を送るべきことをここに約する。」殿下のお声がやんだ時、私はふと空を仰いだ。頭上の蒼空に野鴨の群れが円を描いて舞っていた。

●2009年6月 【政治家の責任の取り方】

西松建設の違法献金問題をめぐり、涙の記者会で党首続投表明をした民主党代表小沢一郎氏を見ていると、小沢氏同様田中角栄政治を継承し総理大臣になり、リクルート事件で失脚した竹下登氏の辞任表明と比べ、いかにも歯切れの悪さを感じました。竹下氏もリクルート事件以外も様々な疑惑が噂され、秘書が自殺するなどスッキリしない面 もありましたが、少なくとも公人としての出処進退はハッキリしていました。二十年の月日は政治家の責任の取り方まで変えてしまったようです。

【竹下登:1989年4月25日】リクルート問題に端を発する今日の政治不信の広がりは、わが国の議会制民主主義にとり極めて重大な危機だ。私は政府の最高責任者として、また自民党総裁として責任を痛感すると共に、特に私の周辺を巡る問題により政治不信を強めたことについて、国民の皆様に深くお詫びもうしあげる。政治に対する国民の信頼を取り戻すため、私は自らの身を引く決意を固めることにした。【注1】

【小沢一郎:2009年2009年3月27日】この体にもういちど鞭を打ち、来るべき衆院選に必ず勝つ覚悟で頑張りたい。政権交代を判断基準に据えて考えている。先のことは分からないが、現時点ではわが党が必ず国民の信を得て、政権を取れると認識している。今後も党首の位 置にとどまるかどうかについては、国民の皆様の判断にお任せする。【注2】

【注1】「昭和が終わった日その3」(佐野眞一:文藝春秋2009年4月号)
【注2】毎日新聞2009/03/28

●2009年7月 【最近の英字新聞から拾った英語の語呂合わせ】

Face the music
2009年5月、5億円の詐欺容疑で懲役3年(執行猶予5年)の求刑判決を受けた作曲家小室哲哉に対して、face the music (自分のやってしまった結果を受け入れる)という表 現を使っていました。作曲家の犯罪だけにピタリと決まっていますね。

On the go
2009年5月、突然の豚インフルエンザ流行で、感染者が多かった関西地域で、ほぼ全員がマスクをして出勤する風景をon the go (てんてこ舞いする)と形容しています。会社に行く(go)と、電車に乗る(take on)を上手く使って、せわしさを表現しています。

Tick off
2009年5月25日北朝鮮が核実験を行った翌日、広島にある原爆平和記念館に表示された「最後の核実験からの日数=1日」表示です。Tickは時計が刻む音ですが、tick offは 口語で「怒らせる、いらつかせる」の意味があります。

●2009年8月 【GMの破綻】

77年連続自動車販売台数世界一を誇ったアメリカのGM(ゼネラルモーターズ)が、負債総額1,728億ドル(=約16.4兆円)を抱えて、2009年6月1日アメリカ連邦破産法を申請しました。アメリカ政府による事実上の国有会社として不採算車種から撤退し、人員・工場・ディーラーを削減し経営規模を30%縮小する計画だそうです。キャデラックからシボレーまでの他機種を揃え、事業部制・企業年金制度などの革新的経営をいち早く取り入れたGMは、「GMにとって良いことはアメリカにとって良いことだ」とまで豪語し、アメリカ繁栄のシンボルとまで言われました。

しかし1970年代石油価格高騰時も、「小さい車は利益も小さい」と燃費の良い小型車に目を向けず、2000年になって「4年後にハイブリッド車を100万台売る」と宣言したのに、これも絵に描いた餅に終わりました。また全米で9万人のGM社員に対し、退職者とその家族数十万人に厚く支払った年金負担などの負の遺産(=レガシーコスト)が膨らみ、新車一台あたり1,000ドルを超すとされ、これがGM車の価格競争力を奪ったと言われています。このような状況下でも既得権にこだわる全米自動車労組(UAW)は、現実を直視せず譲歩を拒み、また米議会に再建計画の説明を求められたGMのワゴナー経営最高責任者(CEO)は、プライベートジェット機でワシントンに乗り付け、顰蹙を買いました。

まさに「驕れる平家は久しからず」で、「企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させ、それを怠った巨大企業は官僚的になり、大胆さと活力を失い社会主義的になり、効率的で新しい物に駆逐される」という、シュンペーターの唱える「創造的破壊」【「資本主義・社会主義・民主主義」(Joseph Alois Schumpeter著/中山伊知郎・東畑精一訳:東洋経済新報社)による】そのものではないか、と思いました。日本の企業も、以て他山の石としなければならない大きな教訓となるでしょう。

●2009年9月【ウナギの謎】

水産総合研究センターの張成年(ちょうなりとし)氏が、文藝春秋2009年9月号に「謎多きウナギの生態」という、興味深い文を寄稿していました。鰻蒲焼き好きの私は、ウナギは汽水域(浜名湖・四万十川下流の様に淡水と海水が交わる地域)や淡水湖沼に生息することは知っていましたが、鮭とは逆にウナギは産卵を海で行い、そこで生まれた稚魚は成長しながら潮流に乗って、川や湖など淡水域に戻って来ることは知りませんでした。ウナギは特定の海域に集まって産卵していると考えられ、ニホンウナギは太平洋のマリアナ海溝、ヨーロッパウナギは大西洋のバミューダ・サルガッソー海周辺ということまでしかわかっていません。

日本では万葉集の時代からウナギを食していたにもかかわらず【注1】、自然界で孵化されたばかりのウナギ仔魚を実際に捕獲したのは実に21世紀(2005年)に入ってからで、日本から2,200Km離れたマリアナ諸島海域でした。その後2008年に張氏の調査チームは、同じ海域で「降(くだ)りウナギ」と呼ばれる全身が産卵のため黒っぽくなった親ウナギの捕獲にも成功しましたが、オスは精巣を膨張させ、メスは腹に卵を用意し、川で見るウナギとは全く異なる姿だったそうです。

養殖ウナギが日常的に食べられている現在、なぜ自然界での産卵実態解明が注目されているかというと、現在の養殖ウナギはすべてある程度の大きさに成長した稚魚を養殖池で育てるもので、ウナギの稚魚は世界的に減少傾向であるため、卵からの養殖技術開発が待たれているからだそうです。水産総合研究センターでは、メスのウナギに生殖ホルモンを注射して、いわば無理矢理お腹に卵を作らせる実験をしましたが、孵化した仔魚は殆ど生き残らなかったそうです。自然界でどのようなバランスの状態で産卵を迎えるのかがわかれば、人工環境下で健全で強い卵をウナギに産ませる方向が見えてくるはずだと、張氏はじめ専門の研究者が、捕獲した「親ウナギ」の分析に取りかかっているそうです。

【注1】石麻呂に吾(あれ)もの申す 夏やせに良しといふ物そ むなぎ取り食(め)せ(大伴家持)
「むなぎ」はウナギの古い言葉。胸が黄色い「胸黄」から来たと言われている。【出典:ウイキペディア】

●2009年10月【銀座ミツバチプロジェクト】

銀座3丁目にある11階建てのビル屋上で、30万匹のミツバチが飼育されています。毎朝このミツバチ達は巣箱から東京の空に放たれ、花を求めて四方八方へ飛び去って行き、皇居のユリノキ、浜離宮のソメイヨシノ、銀座商店街のトチノキの花、有楽町に植えられたエンジュなどから蜜を採集して巣箱に戻ってきますが、今年は既に760kgのハチミツが収穫されているそうで、採れたハチミツは銀座の菓子店やバー、デパートなどに卸して、「銀座ハチミツケーキ」、「銀座ハチミツ・カクテル」という銀座でしか手に入らない商品として、売り出してもらっています。

「ナイトクラブやレストラン、ブランドショップが立ち並ぶ銀座で蜂蜜を作るということは、ちょっと考えもつかないようなことかもしれませんが、実はミツバチにとって銀座は居心地の良い場所なのです。なぜって蜂蜜を狙って蜂の巣を襲う熊は居ないし(笑)、殺虫剤の影響で数が減っている田舎のミツバチより、はるかに健康ですよ」と、NGO団体『銀座ミツバチプロジェクト』責任者の田中淳夫(あつお)さんは、ユーモラスに語っています。

田中さんはそれまで蜂とは全く無縁のビジネスマンでしたが、初めてミツバチの温かさに触れ、まるで猫を撫でているような気持ちになったと告白しています。「ミツバチの一生はわずか30日。ミツバチ一匹が一生かかって作れる蜂蜜の量 はわずかスプーン半分程です。そのことで、ミツバチの命というものは、いかに重みがあるかと、我々に教えてくれているのです。私達が住んでいる銀座の周りの景色がもっと『食べられるものの風景』で一杯になったら、楽しいじゃないですか。もっと東京の中心の広い地域が、ミツバチに優しい草花で満ちた緑の土地になったら素晴らしいでしょ?」と、田中さんの夢は広がります。

●2009年11月【松下幸之助氏の教え】

「不況に克つ12の智恵」(松下幸之助語録:PHP研究所)を読むと、経営者はかくあるべきという姿勢を教えられます。

「責任は我にあり」という章では、『時代が悪い、得意先が悪いのではなく、経営者が当を得ていないのだ』と断言し、なすべきことを実行していない会社・経営者自身に100%原因があるとして、己の実力もわきまえず無理して借金したり、焦って注文を取ろうと安売りした結果 、会社破綻させたりするのは愚の骨頂であると戒めています。

「策は無限にあり」という章では、『好況な時はどこも忙しいので、少々の不勉強でも不充分なサービスでも注文は来る。不景気になると商品・サービスは吟味されるので、本物の商売だけが残る。不景気で暇ならば機械点検、人材研修、研究開発など他にやることがいくらでもある。不景気を逆手に取り、次の大躍進のための準備期間と考える発想の転換が必要』と、力説しています。

「百年に一度といわれる未曾有の不況」だからという自己弁解せず、「誰もが苦しいのだから、当社はどうやってそれを抜け出すか智恵を絞ろう」という前向きで積極的な態度が必要なのですね。松下翁は『大暴風雨にちょっとも濡れんといくような、うまい方法はない。多少は濡れていこうやないか、こう腹をくくらんと仕方ない』と、喝破しています。

【注】松下幸之助(1894〜1989) 松下電器産業(現パナソニック)グループ創業者。写 真は1962年にTIME誌に特集された時のものです。

●2009年12月【おことうさんどす】

京都の祇園町では12月13日になりますってェと、舞子はんたちがお茶屋さんを一軒一軒回って、「おことうさんどす」と挨拶するしきたりがあるそうで、「暮れから正月へかけて色んな行事が多くて何かと大変ですね」という、ねぎらいの言葉なんだそうです。「おことうさんどす」、いい言葉ですなァ。【注1】

江戸時代の江戸でも、師走の13日には「事(こと)」がありました。その事とは煤払い、つまり今で言う大掃除の行事ですな。宮中や江戸城の煤払い行事が、民間でも行われるようになり、煤払いの道具として笹竹を使っていたので、師走の13日、冷たい風の吹く江戸は両国の橋の上で、宝井其角という俳人と俳句仲間の笹竹売りの大高源吾が出合うことに なったんです。実はこの大高源吾、取りつぶされたばかりの赤穂藩の家臣。其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と問いかけますってェと、源吾すかさず「明日(あした)待たるる その宝船」と答えたそうな。その明日こそが、実は赤穂義士吉良邸討入りの日だったんです。これこそまさしく「おことうさんどす」、大変なやり取りだったんですね。この話はフィクションだそうですが、実際にあってもいいような一幅の絵になるような話ですな。

【注1】お茶屋回りをする舞妓さん達は、それぞれのお店でご贔屓のお客様から預かって貰っている「福玉 」を頂くそうです。



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