●Kazさんのページ

「英語よもやま話」2016年
ここには、読者の皆様との交流の場でもある巻頭序言を集めてあります。

●2016年1月【旨味(うまみ)とは?】

 明けましておめでとうございます。

 京都の老舗料亭「菊之井」三代目当主村田吉弘さんが、シャンペン「ドンペリニョン」醸造責任者のリシャール・ジェフロア(Richard Geoffroy)氏との対談で、「旨味」について解説していました。【注1】

 村田さんが「甘・辛・酸・苦という味の四要素を調和させるのが『旨味』で、和食では『出汁』がそれにあたります。『旨味』はダイレクトに感じるものではなく、素材の持っている力を引き出しすものです」と言うと、ジェフロア氏は「旨味と味の四要素で構成するのが和食なら、『油脂』と四要素で構成するのがフランス料理でしょう」と、即反応しました。ここでジェフロア氏が言う『油脂』とは肉汁やクリームなどのソースを意味することのようです。

 村田氏がさらに「和食の『旨味』とは、突き詰めれば昆布のグルタミン酸と、鰹節のイノシン酸のことで、他の要素と結びついてその味わいを深めるものなのです」と解説すると、ジェフロア氏は「食べるということが文化になるのは、『お腹がふくれる』という行為だけでなく、食べることで快感中枢が刺激され、感動に結びつくからです。いわば料理はエスプリ(精神)に語りかけるのです」と、甚だ哲学的な答えを返しました。

 マエストロ(巨匠)同志、奥の深い表現で味覚、料理について語っていますね。

【注1】雑誌 Signature 2014年12月号

●2016年2月【日本の諺・英語の諺対比】

 Japanese Proverbs(David Galef著、TUTTLE Publishing)を読みました。いかにも日本的な諺を選んで直訳し、それに相当する英語の諺を並べて紹介しています。私は以前から英語の諺に興味があり、収集して日めくりカレンダーまで作りましたが、まだまだ面白い諺が沢山あると思い知らされました。いくつか紹介しましょう。

■まな板の鯉
 【直訳】A carp on a cutting board.
 【英語の諺】A lamb to the slaughter.(屠殺者の前の仔羊)

■鰯の頭も信心から
 【直訳】Put faith even in a sardine head.
 【英語の諺】A believer is happier than a skeptic.(信ずる人は疑い深い人より幸せ)

■庇を貸して母屋を取られる
 【直訳】Lend the eaves and the main building will be taken.
 【英語の諺】Give them an inch and they'll take a mile.(1インチ与えたら、1マイル取られる)

■畳の上の水練
 【直訳】Training to swim on the tatami mat.
 【英語の諺】Armchair theory.(机上の空論)

■国破れて山河あり
 【直訳】Destroy a country, but its mountains and rivers remain.
 【英語の諺】The land outlasts the king.(国土は王より長続きする)

■泣く子と地頭には勝てない
 【直訳】There's no way to win over a crying child or government officials.
 【英語の諺】You can't fight city hall.(市役所とは喧嘩にならない=官僚主義には勝てない)

●2016年3月【クリントンの十一戒】

 英語のジョークを探していて、「クリントンの十一戒」というのを見つけました。

 Clinton's 11th Commandment
Did you hear about the 11th Commandment Hilary Clinton introduced?
Thou shall not expose thy rod to thy staff.

 クリントンの十一戒
ヒラリー・クリントンが唱えた十一戒を知っていますか?
汝の杖(rod)を汝のしもべ(staff)に見せつける(expose)ことなかれ。

 このジョークは、ヒラリーの夫ビル・クリントンが大統領時代、1998年に部下(staff)のモニカ・ルウィンスキー嬢と性的スキャンダル【注】を起こし、rodが隠語では男性自身を表すことと、仰々しいタイトル「十一戒」とそのもっともらしい言い方が、クスッと笑えるのです。因みに旧約聖書出エジプト記によれば、古代イスラエルの指導者モーゼは「十戒」を次の様に定めています。

 The Ten Commandments:  十戒
1 .Thou shalt have no other gods before me. 1.私の他に神があってはならない。
2 . Thou shalt not make for yourself a carved image. 2.偶像を拝んではならない。
3. Thou shalt not make wrongful use of the name of your God. 3.神の名をみだりに唱えてはならない。
4. Remember the Sabbath and keep it holy. 4.安息日を守れ。
5. Thou shalt honor your father and mother. 5.あなたの父母を敬え。
6. Thou shalt not murder. 6.殺してはならない。
7. Thou shalt not commit adultery. 7.姦淫してはならない。
8. Thou shalt not steal. 8.盗んではならない。
9. Thou shalt not bear false witness against your neighbor. 9.隣人に関して偽証してはならない。
10. Thou shalt not covet your neighbor's house, wife, servants, livestock. 10.隣人の財産(家、妻、召使い、家畜)を欲してはならない。

 ジョークの世界では、この十戒の後に続けて十一戒"汝捕まることなかれ"、というのが 定番となっています。

 Eleventh Commandment :  十一戒
11. Thou shalt not get caught. 11. 汝捕まることなかれ。

 つまり、1〜10の戒律を破ったとしても、11番目の「捕まらなければいいじゃないか」が通れば、すべてごまかして言い逃れた者が勝ちということになるでしょ?という、オチになるのです。

 ビル・クリントンは大統領執務室に隣接した書斎で、モニカ嬢とオーラルセックスに耽った事実を暴露され、否定しようとしたため下院から偽証罪で訴追され、現職大統領の弾劾裁判という恥辱を味わい、"不適切な性関係"を認めて全米に謝罪しヒラリー夫人が許したことで、何とか大統領罷免を逃れました。まさしく"汝捕まることなかれ"で逃げ切ったのです。

【注】モニカ・ルゥインスキー事件

●2016年4月【ラジャー・ダト・ノンチック氏】

 17歳の時南方特別留学生として選ばれ、日本で教育(東京大学)・軍事訓練(陸軍士官学校)を受け、第二次大戦終了後は祖国マレー独立のために命を賭けて戦った、ラジャー・ダト・ノンチック氏の波瀾万丈一生を描いた「日本人よ、ありがとう」(土生良樹[はぶよしき]著:日本教育出版社)を読みました。
 ノンチック氏は「日本の政治家は判で押したように『過ぐる大戦において日本は貴国に対して大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません』とアジア諸国にお詫びをしますが、そんな必要はありません。あの戦争で日本は立派なことをなさったではないですか。私達アジアの多くの国−マラヤ、インド、インドネシア、フィリピン−などは、日本が大東亜戦争を戦って西欧植民地勢力を追い払ってくれたから独立出来たのです。私達は日本軍がマレー半島を進撃し、敗れて逃げてゆく英軍を見た時、歓声をあげました。
 その上でノンチック氏は、「それなのに、どうして現在の日本人は自分本位で心が貧しくなってしまったのでしょうね」と嘆き、本書の序に代えて次の詩を送ってくれました。読んで胸に手を当てると図星なので 、日本人として恥ずかしくなるような思いになります。

かつて 日本人は清らかで美しかった
かつて 日本人は親切で心豊かだった
アジアの国の誰にでも 自分のことのように 一生懸命尽くしてくれた

戦後の日本人は 自分達日本人のことを 悪者だと思い込まされた学校でも 
ジャーナリズムでも そうだとしか教えなかったから
まじめに自分達の父祖や先輩は 悪いことばかりした
残酷無情な 酷い人達だったと 思っているようだ
だから アジアの国に行ったら ひたすらペコペコ謝って
私達はそんなこといたしませんと 言えばよいと思っている

そのくせ経済力がついてきて 技術が向上してくると
自分の国や自分までが 偉いと思うようになってきて
うわべや口先では 済まなかった 悪かったと 言いながら
ひとりよがりの 自分本位の 偉そうな態度をする

そんな 今の日本人が 心配だ
本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っている 私達は
今は いつも歯がゆくて 口惜しい思いがする

自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は これが本当の日本人なのだろうか
どうして どうして 日本人は こんなことに なってしまったんだ

●2016年5月【聖徳太子十七条憲法】

 大学受験の時「604(ムレヨ)る民に十七条(=西暦604年制定)、和を以て貴しとなし、篤く三宝を敬え」と覚えた聖徳太子の十七条憲法ですが、今改めて原文と口語訳を読み直すと【注1】、役人(公務員)の心構えとして現代でもそのまま使えるものばかりです。いくつか紹介しましょう。1,400年以上昔に書かれたものとは思えないほどです。

1条:和を以て貴しとなし、さからうことなきを旨とせよ。人みな党あり。また悟れるもの少なし。
(和を何より大切なものと考え、いさかいを起こさぬことを根本としなさい。人は仲間と群れたがるし、悟りきった人間は少ない)

4条:礼を以て本(もと)とせよ。それ民を治むるの本は必ず礼にあり。上礼なき時は下斉(ととの)わず。
(礼の精神を根本に持ちなさい。民を治める基本は必ず礼にあります。上の者に礼がなければ、下の秩序は乱れます)

5条:餐(あじわいのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を棄てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(わきま)えよ。
(饗応は受けず、金銭への欲望を棄てて、民の訴えを厳正に審査しなさい)

7条:人各々(おのおの)任あり。掌(つかさどる)こと宜しく、濫(みだ)れざるべし。
(人にはそれぞれの任務があり、職務内容を忠実に履行し、権限を濫用してはなりません)

11条:功過を明らかに察して、賞罰必ず当てよ。
(官吏の功績、過失をよく見て、それに見合う賞罰を必ず行いなさい)

15条:私に背(そむ)きて公に向かうは、これ臣の道なり。私あれば必ず恨みあり。恨みあれば必ず同(ととのお)らず。
(私心を棄てて公務に励むのは官吏たるものの理です。私心があると必ず人を恨むようになり、人を恨むようになると必ず不和になります)

17条:事は独り断(さだ)むべからず。必ず衆と共によろしく論(あげつらう)べし。
(ものごとは独りで判断してはいけません。必ず皆で議論してから判断しなさい)

【注】原文、口語訳は「日本がもっと好きになる」(日本教育再生機構)を参照しました。

●2016年6月【覗き見】

 「覗き見」を意味する英語表現を日本語と対比してみました。歴史的な逸話が語源となっていることがよくわかりますね。

Peeping Tom
11世紀、英国レオフリック公の夫人ゴダイヴァ(Godiva)は慈悲深い性格で、領民への苛斂誅求を止めるよう夫に懇願し、「お前が裸で馬に乗り街中を巡るなら止める」と言われ、街を全裸で馬に乗って走ったという話があります。領民は気高いゴダイヴァ夫人の裸体を決して窓を開けて見ないようにしていましたが、仕立屋だったトムがこっそり覗き見をしたため、天罰で盲になったといわれています。
出歯亀
酒を飲むと女湯を覗くのが趣味の出っ歯の植木職人「池田亀太郎」が、明治41年(1908年)婦女暴行致死の疑いで捕まり、その公判で亀太郎の通称「出歯亀」の名が巷に流布されるようになり、覗き魔の代名詞となりました。
●2016年7月【ホレホレ節(Hole Hole Bushi)】

 昨年ハワイの日本文化センターで購入した "The Japanese in Hawaii - Okagesamade"(ハワイ日系移民物語:おかげさまで)を読み、ハワイの砂糖黍農園労働初期に主に西日本(山口、広島、熊本、沖縄など)から海を渡り、一ヶ月15ドル程度の低賃金で、2年間年期奉公の重労働に従事した日系人一世達の苦労を知りました。
辛い炎天下の作業で共に励まし合い、少しでも気を紛らわせるために、これら日本人労働者が即興的にいろいろな歌詞をつけて歌っていたのが、ホレホレ節です。
「ホレホレ」とは主に女性が行っていた砂糖黍の枯れ葉を手作業で掻き落としていく作業で、このようにハワイ語、日本語、英語が入り交じった歌詞で、砂糖耕地での生活、今後の身の振り方についての思案、ふるさとへの思いなど、当時の移民の生活に密着した内容が歌われています。そのうちのいくつかをローマ字と英訳で紹介します。

 Kane wa Kachiken, washa "Hole Hole" yo. Ase to namidano tomokasegi.
(カネはカチケン、わしゃホレホレよ。汗と涙の共稼ぎ)
My husband cuts the cane stalks and I trim the leaves. With sewat and tears we both work for our means.
【脚注】Kaneはハワイ語で男性、Kachiken は英語の cut the caneが訛ったもの。Hole Holeはおそらく日本語の"放れ、放れ"からと想像される。

  "Okure okure" wa Kuni kara no tegami. Nan de okuraryo kono zama de.
(送れ、送れは国からの手紙。なんで送らりょ、このざまで)
"Send us money, send us money!" is the usual note from home. But how can I do it In this plight?
【脚注】移民達は貧しい農民の出稼ぎだったので、日本に残してきた家族からは"早く金を送れ"と催促されるが、自分達がハワイで暮らすのも精一杯で、とても送金など出来ないと嘆いている。

 Ikkai nikai de kaeranu mono wa, sue wa Hawaii de Poi no koe.
(一回、二回で帰らぬ者は、末はハワイでポイの肥)
Those who came on first and second ships and still don't go back home to Japan, will become fertilizer at the end for the poi plants.
【脚注】移民第一船、第二船(1868年=明治元年)でハワイに出稼ぎに来た者で、日本に帰れなかった者は、この地で死んでポイ(=タロイモ)の肥料になってしまうだろうという恨み節。

●2016年8月【日の丸】

吉野の里で現存する
南北朝時代の日の丸
日の丸の起源となった
日像・月像

 日本人は農耕社会を支えるエネルギーの源として太陽に感謝し、御来光を拝み、また静寂・鑑賞の対象として月を愛でていました。鎌倉時代蒙古襲来時(1274,1281年)には、日蓮上人が日の丸に「南無妙法蓮華経」と書いた幟を作り必勝祈願したと伝えられています。【注1】南北朝時代、後醍醐天皇が足利尊氏によって京都を追われて吉野の里に逃れた時、自らに従う武将達に白地赤丸の旗を下賜したものが、最古の日の丸として奈良県五條市に現存します。

 その後戦国時代に天下統一を目指した武田信玄、上杉謙信、織田信長らは、「我こそ天皇の守護」との印に日の丸を競って用いるようになりました。また安土桃山末期にタイのアユタヤに渡った山田長政が、象に乗って日の丸を掲げて行進している絵が、長政の 故郷駿河の浅間神社に奉納されていることから、「日の丸」は日本(ひのもと)のシンボルとして、ごく自然に受け入れられていたことがわかります。江戸時代「日の丸」は徳川幕府への年貢米を輸送する船の旗印として使われていましたが、ペリー来航により鎖国を破られ、諸外国軍艦にたなびく国旗を見て日本の「惣船印」、即ち国旗制定必要性を理解し、誰もが納得する「日の丸」にしました。ですから万延元年(1860年)日米 修好通商条約批准のため、幕府代表を乗せてアメリカに渡った咸臨丸には日の丸旗が掲げられていたのです。

 明治維新後「日の丸」は新興国家日本の国旗として正式に認証され、国旗の意義について尋常小学校教科書で次の様に教えられたそうです。【注1】 どの国にもその国の印があります。それを国旗といいます。日の丸の旗は日本の印ですから日本人は誰でもこれを大切にします。それと同じように、外国の人も自分の国旗を大切にします。私達は外国の国旗にも礼儀を失わないようにしましょう。

【注1】尋常小学校修身書その3

●2016年9月【国際ルールを守らない国、中国】

  南シナ海で人工島を造成し軍事拠点化を進める中国の海洋進出は、国際法に違反するというフィリピン訴えに、2016年7月13日ハーグの仲裁裁判所がその通りであるという裁定を下しました。違法性に関して国際的な司法判断が初めて示され、とりわけ南シナ海の大半を囲い込む九段線【注1】を勝手に描き、その内側に歴史的利が及ぶという中国の言い分が、完全に否定されたことは重要です。仲裁裁判所はスプラトリー(南沙)諸島の7つの人工島など中国が実効支配する岩礁についても、「島」ではなく、領海などは有しないとの見解をハッキリ示し、同時に中国の埋め立てに伴う環境破壊やフィリピンの漁業権、石油探査への妨害にも言及しています。

 ところが習近平国家主席は「裁定に基づくいかなる主張や行動も受け入れない。中国の南シナ海における領土主権と海洋権益は全く影響を受けない」と馬耳東風。王毅外相も声を合わせて「今回ハーグ裁定手続きは、終始法律の衣をかぶった政治的な茶番だった」という談話を発表し、戴秉国前国務委員に至ってはわざわざワシントンで「ハーグ裁定は紙屑にすぎない」と講演し、中国は国際ルールを守らない国で有るという印象をますます強めました。そして実際に南沙諸島上空に爆撃機・哨戒機を飛ばし、軍事的示威行動をこれ見よがしに行っています。

 東シナ海でも、中国の軍艦が尖閣諸島(沖縄県)周辺の接続水域領海に相次いで侵入しています。今回のハーグ裁定は「尖閣諸島は歴史的に自国領土だった」とする中国の主張が、法的根拠にならないことを示しています。なぜなら1895年1月14日、日本政府は当時の清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認の上、無人島だった尖閣諸島現地に標杭を建設しました。日清戦争終結のために結ばれた下関条約第2条に基づき、日本が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島に、尖閣諸島は含まれていません。【注2】
つまり当時の清国は最初から尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかった
ことが明らかです。このことは日本敗戦後の1951年のサンフランシスコ平和条約第3条に基づき、米国の施政下に置かれた日本占領地域に同諸島が含まれている事実に対して、中国がなんら異議を唱えなかったことからも追認できます。

 また1919年に尖閣諸島沖で中国漁船が遭難し、尖閣島在住の日本人が彼等を救出し中国に送り返した時、中国政府は「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島」に感謝状を出しています。【注3】
そもそも中国が突然尖閣諸島の領有権を主張しだしたのは、東シナ海に石油埋蔵の可能性があるという国連調査報告が出た1971年からだった、という事実をしっかり思い出してほしいと思います。何より1969年に中国国土地理院が発行し、時の毛沢東主席が序文を書いている公式地図には、中国が主張する「釣魚群島・釣魚島」の名ではなく、日本名の「尖閣群島・魚釣島」と書かれているのが動かぬ証拠です。【注4】

【注1】1953年から中華人民共和国がその全域にわたる権利を主張
    するために、地図上に引いている9本の破線=右図。

【注2】「日本の領土をめぐる情勢」(外務省公式見解)

【注3】「日本共産党と中韓」(筆坂秀世著:ワニブックス P238)

【注4】2015年2月23日衆議院予算委員会で、原田義昭
    議員が実物を示した「中華人民共和国分省地図」
    (1969年版)=右図。

●2016年10月【カエルの楽園】

 イソップ物語は愚かな人間を動物に置き換え、その考えや行動を風刺した寓話集ですが、百田尚樹氏が書いた「カエルの楽園」(新潮社)は、まさに平和ボケ国民の思考停止状態と、衆愚政治がもたらす悲劇的結果に警世を促す、現代日本のイソップ物語と云えましょう。

 「ナパージュ」というツチガエルが棲む国には、「カエルを信じろ」・「カエルと争うな」・「争うための力を持つな」という三戒があり、「この三戒を守っているのでナパージュ国の平和はずっと保たれている」と、彼等は信じています。しかし隣の沼に棲む凶暴なウシガエルがナパージュに攻めてこないのは、実はナパージュの山の頂きに棲む鷲が睨みを利かせていたからで、ウシガエルが攻めてきても鷲と一緒に戦おうとしないツチガエルに愛想をつかした鷲は、ある日山の頂から去ってしまいます。

 自虐史観に囚われたツチガエルのリーダーは、「全ての罪は我にある。皆で謝ろう」という歌を繰り返して大衆を洗脳し、洗脳された若いツチガエル達は「私の子供を戦場に送るな!」、「僕は戦いたくない」とデモを繰り返します。勇気を出して「ウシガエルが国境を越えようとしているから、ナパージュを守るため皆で力を合わせて食い止めよう」と発言したツチガエルは、「三戒違反をそそのかし、国民を不安に陥れた」と殺されてしまいます。

 「カエルの楽園」では、ようやく現実の危機を理解したナパージュの元老カエル達が、過半数で「三戒の掟」廃棄動議を可決します。これはまさに「日本国憲法改正」のための国会決議を象徴しています。その結果国民投票が行われ、小説では「三戒の掟絶対死守派」が狂信的な全国キャンペーンを繰り広げ、僅か3匹の差で「三戒の掟」存続が決まります。その翌日ウシガエル達は隊列を組んでナパージュに侵攻し、「カエル同士だから話せばわかる」、「三戒の掟をお互いに守り、平和に共存しよう」などという声は全く聞かず、大半のツチガエルを殺して、残りは奴隷にしてしまうという物語です。

 ツチガエルのナパージュが日本、「三戒」が憲法9条、そしてウシガエルは近隣他国を侵略し、「ここはもともと俺の領土だった。この国で弾圧されている国民から要請があったから出動した」とゴリ押しする中国、山頂で睨みを効かせてナパージュを守っていた鷲がアメリカであることは、ピンと来ますね。

●2016年11月【リンカーン演説】

 今から152年前の1863年11月19日、アメリカ16代大統領エイブラハム・リンカーンが南北戦争激戦地であったペンシルベニア州ゲティスバークで行った有名な演説文です。"Government of the people, by the people, for the people"(人民の、人民による、人民のための政府)という、民主主義のあるべき姿を示した最後のフレーズは有名です。

 The Gettysburg Address by Abraham Lincoln (November 19,1863)

 Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal. Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

 But, in a larger sense, we cannot dedicate - we cannot consecrate - we cannot hallow - this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced.

 It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us - that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion - that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain - that this nation, under God, shall have a new birth of freedom-and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

 ゲティスバーグにおける演説(エイブラハム・リンカーン 1863年11月19日)

 87年前私達の祖先は、「全ての人は生まれながらにして平等である」という理念に基づく、新しい国をこの大陸に産み出しました。現在、私達は大きな内戦の最中にあります。この内戦は「全ての人は生まれながらにして平等である」という理念から生まれ、その理念に忠実であろうとしたわが国、あるいはそのような理念を持った国々が、この先もずっと存在し続けられるかどうか、という試練を問われているのです。私達はこの内戦の激戦地のひとつで一同に会しています。私達がここにやってきたのは、この激戦の地で命を失った人々を弔うためです。彼等の生命はわが国が生き延びるための貴重な犠牲だったのです。私達が彼等を弔うことは当然のことであります。

 しかしよく考えれば、私達はこの戦場を敬い、神聖化し、清めることは出来ないのです。この戦場で戦い斃れた者、生き残った勇敢な兵士達が、この地を既に神聖なものにしたのであり、我々がこの地の戦いについて、後から付け加えたり、取り除いたりする貧弱な能力は、彼等自身が身を以て示した行為に比して、はるかに及ばないものであります。私達がここで言うことなど世界の殆どの人が気に留めないでしょうし、それを長く記憶にとどめることもないでしょう。しかし勇敢な兵士達がここで為したことは、決して忘れられることはありません。私達生きている者の使命とは、ここで戦い斃れた人々によって気高く前進させた、未完成の仕事を完成することに、身を捧げることなのです。

 ここにいる私達の使命とは、私達の前に残された大きな仕事に身を捧げることです。その仕事とは、その実現のために最後まで献身をし続けた、名誉ある死者達から受け継いで一層の熱意を持って取り組むべきものであります。その仕事とは、彼等勇敢な兵士の死を無駄にしないことを固く決意し、この国が神の庇護の下に真の自由を生み出すことであります。即ち国民が、国民による、国民のための政府を、この地球から消滅させないということなのです。

●2016年12月【借用語】

  現在当たり前の日本語として使われている言葉の中には、「借用語」(a word borrowed from a foreign language=外国語から借りた言葉)が沢山あり、その語源を調べると、お国ぶりや日本との文化歴史的かかわりが浮かんできて、興味深いものです。逆に、日本語の単語がそのまま世界で通じる言葉は思いつくだけでも、柔道(judo)、カラオケ(karaoke)、出汁(dash)、武士(samurai)、忍者(ninja)など日本文化と深く結びついていますね 。

 

日本語 語源母国 原語の意味するところ 相当英語
卒塔婆 インド stupa 仏舎利建物 stupa
お転婆 オランダ ontembaar 手に負えない tomboy
ランドセル オランダ ransel 背負いかばん school bag
ギプス ドイツ gips 石膏 cast
ゲレンデ ドイツ gelande 山野 ski resort
クレヨン フランス crayon 鉛筆 crayon

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